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羊崎文移(旧名)なんたら。

雑記の予定です。

「共闘」という名前の「転向」。

人権

2011年3月11日以降、原発問題で「安全に右も左も関係ない」という事で右派と左派は一時的に共闘して来た。

しかし、この「共闘」という言葉は「転向」を実に容易にするものでもあった。

私みたいな「左派的な考えだけど尊皇」みたいな人の多くが新右翼的なものに取り込まれていった。

私も初めは迷いも有ったが、この約6年間のなかで「本当に『権利の獲得』を目指すのであれば『極左』になるしかない」という自己結論を出した。

今では余計な迷いを振り捨てて、その「極左」の道一本に活動を絞っている。

一方、約6年間で一番転向したのが「日本共産党」である。

共産党は80年代から多くの年上に「もう代々木は本気で革命を目指してない」と言われてた記憶がある。

最近の共産党はやたら「共闘」と言う言葉を口にする。

この「共闘」が、実は「転向」への第一歩なのだ。

野党と共闘を深める事でその内「原発もやむを得ない」「国歌の強制もやむを得ない」「戦争もやむを得ない」という流れになるだろう、共産党は……。

 

国会前で穏やかな抗議行動をして、警備の警察官に御礼の言葉を述べる。これはまさに右派の「和を以って貴し」。
その言葉でどれだけの大事な事が「見猿聞か猿言わ猿」となった歴史を忘れている。


以前の私のみたいに「左派的だけど尊皇」の様な事を続けていると知らない内に全く違うモノに取り込まれてしまう。

右にも左にも良い顔をする人は、活動家よりも物書きなどの文化人を目指した方が良い気がする。

 


「右も左も関係ない」政治活動ではなく「右か左かハッキリさせなければならない」政治活動しかもう信用しない。